2009年1月2日金曜日

南太平洋にて

年末年始の休みを利用して、妻と二人で海外旅行に行ってきた。
子供は日本に置いてきぼり。
意地の悪い両親と思ってはいけない。
子供が行きたくない、絶対に生きたくない、断じて生きたくないと強硬に主張したのだ。
だから置いて行ったまでのこと。むしろ子供の主張を聞き入れる良い両親である。

それはさておき。

旅行先はタヒチとイースター島である。
南太平洋の楽園と、絶海の孤島である。
今回の旅行にヘミシンクのCDを持参して、普段と全く異なった環境で聴いたらどうなるかを試そうと思った。そして試した。ただし、タヒチ島での滞在ホテルとイースター島での滞在ホテルにはCDプレーヤーが無かったため、聴くことが出来なかった。
唯一、ボラボラ島の水上ヴィラにCDプレーヤーがあったので、そこで試してみた。
以下がそのときの体験記録である。
滞在中何度か試したうちの幾つかを抜粋してご紹介したい。
日時は勿論、現地日時刻である。

1月2日(金)6:00a.m.
朝早く目が覚めたので、F12CDを聴く。
昨日も2回ほど聴いたが、様々なイメージは浮かぶのだがクリックアウトしてしまったり、そのまま眠ってしまったりでほとんど記憶に残らなかった。
今回はうまくいった。
F12 到着。意識の拡がりを明確に感じる。身体の感覚が薄れ、意識(私の場合、体全体が大きく拡がっていく感じがする)が全身の大きさを超えた感じがする。
アナウンスに従い、自分の疑問点を投げかける。何となく左側が明るい。
これが自分のガイドなのか?まだ定かではないが、そう仮定して質問する。
質問は、「肉体が死んだ後、意識はどうなるのか」
取り敢えず、質問を投げかけて答えを待つ。
しばらくすると、山のようなものがぼんやりとイメージできてくる。
場所がボラボラ島なので、ボラボラ島の山並み(オテマヌ山)か?
今ひとつどこの山並みかまでは判然としない。山並みが微妙に形を変えていく。
そのうち瞬間的な映像で何かが見える。
形、輪郭はかなり明確に解るがそれが何かはよくわからない。
何か大きな水晶のようなもののようだ。
もしかすると、F27 にあるという巨大水晶か?
だとすると、肉体が死んだ後、私の意識はF27 に行く、ということか?
それが答えなのだろうか。
だとすれば肉体の死後も意識が残り続ける、という説が真実と言うことになる。
今回の体験だけではまだ明確に信じるには至らないが、これを繰り返していくことで今回の体験の確証を得られればと思う。
いずれはF27 に実際に行ったときに、今回の体験の真理が解ろう。

1月2日(金)4:00p.m.
今日2回目のセッション。再びF12である。
今回は、過去世の一つを見せてほしいと頼んでみる。
すると、何となく男の人の後ろ姿がイメージできる。そして何か棒のようなものを担いでいるようだ。
その棒は真っ直ぐに自分の方に伸びてきている。
どうやら、前に見える男と私で「駕籠」を担いでいるようだ。
ということは、私の過去世の一つは駕籠担ぎ?
ただ、前の男の頭に丁髷までは確認できないため、ここが日本かどうかは不明。
駕籠担ぎの習慣があったのが日本だけとは限らないため、過去世が日本だったかどうかは今のところ判らない。
日本に帰ったら調べてみよう。
・・・・・
帰国後、ネットで少し調べてみた。
駕籠かきは日本以外にも、中国など一部の外国にも存在しているようだ。
私がボラボラ島で観たイメージはあまりに漠然としていて、駕籠の装飾、駕籠かきの服装などほとんど記憶にない、というよりそこまで明確にイメージできなかったのだが。
現状何も明確なことは判らない、と言うのが結論。
今後何かの機会に別のヒントでももらえるのを待つしかなさそうである。

南太平洋の楽園でヘミシンクを聴くことで、何か違った展開を期待したが、驚くような劇的展開は無かった。
場所を変えても今の私のレベルではどう仕様もないと言うことか。
気長に聴き続けるしかないか。

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